メゾチント ・ブログ

メゾチント作家、小池結衣の作品の紹介です。画像の無断転載・使用はしないでください。

La sombra de María/マリアの影


ブエノスアイレスのマリア」より No.7
メゾチント
2014年


地獄に落ちるとマリアの影は、「永遠に太陽から苦しめられ地上をさ迷わなければならない」という刑を「古の大泥棒」より宣告されます。
器楽のみの曲が、ブエノスアイレスの街をさまようマリアの悲劇的な運命をこれでもかと物語ります。



ブエノスアイレスのマリア」について
ブエノスアイレスのマリア/María de Buenos Aires は、オラシオ・フェレール作詞、アストル・ピアソラ作曲の1968年初演の音楽劇です。YOU TUBEを見ると、役者が歌って踊って演技する演出で上演されることもあるようですが、もともとは舞台装置もなく、歌手と朗読者は演奏者のとなり(もしくは前)でマイクを前に立ったままの想定で作られたようで、作者ら自身が初演した折にはこの体裁であったようです。どのようなジャンルに属するのかわかりにくい作品ですが、私自身は「朗読付きの組曲」と理解しています。16曲で構成され、バンドネオン、フルート、ギター、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、パーカッション、シロフォン等々の演奏に、主人公マリア役の女性歌手が一人、一人の男性歌手が曲ごとに違う人物を演じ、「小悪魔」役の男性朗読者が一人、あとは男女数名ずつの朗読者が同時に発声するかたちで、曲ごとに違う役を演じます。なお、日本語解説付きのCDとしては、ピアソラバンドネオンフェレールの小悪魔役の初演時のもの、同じくフェレールの朗読にギドン・クレーメルのヴァイオリンによるもの、2013年に来日したアメリータ・バルタルが初演以来45年ぶりにマリアの役を務めた小松亮太バンドネオンによるもの、の3つがあるようですが、私は主に初演時の録音を聴きました。
ピアソラは日本でも非常にファンが多いですが、ピアソラ唯一の大作であり彼の最高傑作とも言われるこの作品が日本ではほとんど知られていないのは、なんといってもその聞きにくさにあるでしょう。正直なところ私自身、この曲を紹介されて最初にYOU TUBEで聞いてみたところ、人の感情の胸ぐらをつかんでガクガク揺すぶるようなピアソラ節全開の長い前奏に、詩人自身による思い入れたっぷりの小悪魔役のスペイン語の独白が"Ahora que es la hora...."と始まり、延々と続いていくのを、「これはちょっと聞いていられないな・・・。」と思いました。しかしメゾチントによる作品化を重ねて勧められましたので、とりあえずは内容を理解しようと思いCDを購入してみたものの、その詩は非常に長大で難解、登場人物も無闇に多く、手持ちのスペイン語辞書には載っていない「ブエノスアイレス弁」や「タンゴ語」が頻出(タンゴの歌詞は、俗語や隠語が多用されます)、私自身の聖書やタンゴに対する知識の欠如もあり(随所に聖書のパロディが見られます)、また、当時軍事政権下であったアルゼンチンでは直接にものを言うことができなかったという事情もあるらしく、歌詞カードに載っている日本語訳を読んでさえほとんど意味がわからないという有様で、途方にくれてしまいました。ただ、詩は視覚的イメージにあふれていましたので、断片だけでも作品は作れるだろうと軽く考え、去る9月の展覧会に向けて、シリーズで制作することにしました。
大筋としては、運命に呪われて生まれてきたようなマリアが、タンゴのステレオタイプ通りバンドネオンの音色によって堕落させられ(おそらく娼婦となり)、死に(自殺か他殺か、事故か病気か、死の詳細はなにも語られません)、地獄で「影となって永遠に地上をさまよう刑」を宣告され、精神分析医のサーカスででたらめな精神分析をされ(ブエノスアイレスでは精神分析がとてもポピュラーであるようです)、この物語の語り手でありマリアを想う小悪魔の奇跡による処女懐胎で子をなすも(影なので、処女なのだそうです)、生まれてきたのはイエスではなく女の子であったのでその子はまたマリアと名付けられる、うんぬん・・・というものです。
完全に男性目線で作られている印象もあり、正直なところ物語にそれほど共感できるわけではありません。しかし、なんとなく全体の雰囲気をつかんだ上で聴き込んでみれば、やはり最高傑作といわれるほどの作品だと思えます。人物の心の動きの表現はさすが巨匠と思わせられますし、くりかえし出てくるテーマの効果や全体の構成の巧みさなど、やはり一曲ごとの作品では望めないものがあります。